私と短歌と文アル、詩と後悔、愛する作家の話

 私にとって短歌はツールだった。

 所属していた文芸部が毎年盛岡で行われる短歌甲子園に出場していたから(確か予選落ちのこともあったから毎年は語弊がありそうなのだけれど)啄木の歌にはふれていた。私は彼の歌を読んで短歌が日記のようだと思った、もっと言えばツイッターのようだと思っていた。
 思春期でしか詠めない歌があるという話を真に受けていたことを覚えている。詩作は思春期の特権だ。そしてまた日記もツイッターも、別に他の人の読まなくても書けるし、呟ける。そう思って別に啄木の歌はそこまで読もうとは思わなかったし、他の歌人の歌もよく知らない。ツイッターで言えば他人をフォローすることをしなかった。ただ思うままに短歌を詠んでいた。
 言い訳をすると甲子園に行った1回目のときに買った啄木の漫画がとんでもなかったり(なんだこのカンニング野郎!とか)、図書室で眺めていた本で、母親の面倒見ないなら死ね、と妹に送った手紙が載っていたりと、啄木にいい印象を抱いていなかったのもあった。
 現代の歌は破調が多く難解なものが多い印象もあって、まあツイッターだし思ったことを詠めばいい、と思っていたものだ。要するに鑑賞という視点が抜けていた。勿体ないことをしたと思う。

 あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりける、と文アルを開くとスタート画面で、ときどき櫻井孝宏演じる斎藤茂吉が歌を詠んでくれる。
 初めてこれを聞いたとき、綺麗な歌だなと思った。声という限定的な表現力に特化した声優が詠んでいるからというのも勿論あるのだろうけれど、仕事中この歌がぐるぐると頭の中でこだましていた。綺麗な歌だ。歌なのだ。短歌は歌だった。
 短歌甲子園にまで行ったくせにそのことに気づくのがずいぶん遅かった。短歌は歌だったのだ。好きな歌のサビをつい鼻歌で歌うように、短歌もまたそうなのだ。
 高校生の私は短歌をツールだと考えていた。だから多くはなかったけれど歌を作った。そろそろ30代が見えてきた私は短歌を歌だと思う。だからたぶんこれから聞くのだろう。JPOPだって星の数ほどあるように、短歌だってたくさんある。どれにふれてみよう、と思うときの高揚感と、すべてにふれることはできないという絶望感がないまぜになったこの感覚はなんとも形容しがたいものがある。新しく視界が開けたような心地と、もう少し早く気づけたら良かったのにという後悔。

 私は短歌甲子園で未来は大樹のように広がっているけれど、選べるのはその一本だけ、というような歌を詠んだ。いま考えても残酷な歌だと思う。確かこの歌は負けてしまったのだったか、どうだったか覚えていないし、どういう歌かも覚えていない(そのときの資料は残っている、というかたぶん捨ててはいないので探せば出てくると思うが)。
 後悔と言うには死にたくなる道を選んでしまったと思う。大きく分かれた二本の枝があって、私は枯れゆく方の枝を選んでしまった。実際枯れかけた。かろうじて生きてしまっていて、特にもう死にたくもなく、ついに生きることを覚えてしまった(短歌の話をしたかったのにどんどん自分の話になってきたなあ、と思うのだけれど、短歌は私を内包しているので仕方がない)。
 以前ならそれでも生きることに苦しみを覚えていたものだが、どうなのだろう。最近はとても楽しい。お金は稼げていないのだけれど、将来が楽しみだなと思うし、楽しみな分不安があることも含めて楽しんでいる気もする。どうであろう。この辺りは戻れないくせに進んでみないと分からないのがもどかしいところだ。

 小学生のときに詩を暗唱させられたことを覚えている。多かったのは谷川俊太郎だろうか。私の詩的体験の初めはそれだったので、近代詩というとどうも嫌煙しがちだった。
 中3の頃だったかに司書の先生におすすめの詩を尋ねたらば銀色夏生の『ロマンス』を教えてくれた。案の定刺さったものだ。思春期はヘテロラブに囚われていたから余計に(機能性不全の家庭にいた私は仲睦まじい夫婦と柔らかい愛情を注がれる子どもを夢見ていた。グロテスクだ)。
「そして君に出会うまでは孤独だったと」というフレーズは私の心に刻まれているが、あるいは傷のようでもある。刻まれてしまったのだから当然か。
 先生としては中高生の女の子にぴったりの詩人を紹介したつもりだったのかもしれないのだけれど、他の近代詩を教えてくれたらなあ、と思わないでもない。責めてるような書き振りになる。本は一冊でひとの人生を変えるものだ。それを教えてくださいなどと言われた日にはたまったものではない。難儀な質問をしたものだ。どこの向かうかのはじめの一歩を気軽に聞いてくる子どもたちなど、私は恐れ多くて相手をするのもこわい。
 私の話をすると結局福永武彦のところに戻ってくるのだということに驚いている。文アルにはまり、あまり興味がなかった福永の交わった人々に関する随筆を読み、彼が編んだ朔太郎の詩集を読み、犀星の詩集を読んだ。
「自分は愛のあるところを目指して行くだろう」という犀星の言葉にやさしく包まれている。こういったセンチメンタルな記事を書いているせいもあり、ページをめくってこの詩を読んだときにぽろりと泣いてしまった。愛のあるところ。愛のあるところの私も行きたいものだ。戻れない道を間違えたので、もう「昨日のごとく正しく」私は歩めないのだけれど、それでも、どうせ行くならば愛のあるところに行きたい。
 本当はこんなことを書くつもりではなかった。犀星の詩にふれたら自分も試作がしたくなった、というようなことが書きたかっただけなのに、泣くはめになってしまった。室生犀星には多くひとが集まったというが、彼の詩を読むとそれが目に浮かぶようだ。私の愛する福永武彦もそうだったのだから、私も惹かれるだろう。
 私は福永武彦の全集を全て読んでしまうのがこわかった。彼の残したほとんどの言葉を読み切ってしまうのがこわかった。それで全てが終わってしまう気がしていた。そうではなかった。たぶんきっと全てを読んでも彼はそこで終わらないし、むしろそこから新しい世界が開けていくのではないかと最近よく思う。彼の随筆をいくつか読み、彼が愛した作品にふれて、感動して、それがずっと続いて、広がって行くだろうと思う。もう彼自身は死んでしまったから、もう新しい作品を読むこともできないし、何も変わらないのだけれど、彼の愛は世界に散りばめられていて、私はそれを拾って生きていきたいと思うのだ。