春の雪をあつめました

春の季語から雪に関するものをピックアップしましたがなんと雪なんてどれも一緒だぜ!という結果になってしまったのでとりあえず言葉の響きを楽しむことにしました。

雪の果て
春が来て、降り納めのように降る雪のこと。名残の雪とも。涅槃会の前後に降る雪をさすため、涅槃雪ともいう。涅槃会(ねはんえ)とは釈迦入滅とされる日(陰暦二月十五日。現在の三月くらい)に行われる法会のこと。

 

帷子雪(かたびらゆき)
薄雪。薄く積もった雪。帷子は裏地のない衣服のことで、要するに薄い。愛知の方言なのかな。

 

斑雪(はだれゆき)
まだらに降り積もっている雪、あるいははらはらと降る雪のこと。『三冊子』(さんぞうし。芭蕉の談話をまとめた江戸の本)に、はだれ雪も帷子雪も大きい雪片のことをいうんだって、とある。一緒なんかい。

 

牡丹雪
ボタンの花びらのように降るから、ぼらぼた雪だから、の二つの説がある。熊本や鹿児島では「はなびらゆき」と呼ぶそう。綿雪、ぼた雪ともいう。しかし、綿雪は牡丹雪よりやや小さいものをいう、という辞書もあるのでなんだか分からない。

 

泡雪/沫雪(あわゆき)
春先に降る、うっすらと積もって消えやすい雪のこと。牡丹雪、綿雪ともいうそうだ。とりあえず帷子雪、はだれ雪、牡丹雪、淡雪は大きめの雪片という認識で、あとは字面で選ぶ感じでいいのか……? でも泡沫の雪ってすてきよね。

 

淡雪(あわゆき)
泡のようにやわらかく溶けやすい雪のこと。平安時代に「淡し」の意味を含んだ淡雪が分岐したようだが、結局後世で混同されている。現代では同じようなものか。そもそも泡雪は冬の景物だったそうなので、これが春の季語として扱われていること自体が混同されていることの表れではないか……

 

歌舞伎は意外と安い

 なんとなく高そうなイメージのある歌舞伎。

 実は千円くらいで観られることをご存知だろうか。といっても歌舞伎座(東京の東銀座にあるよ)に限った話ではあるのだが、なんといっても歌舞伎の総本山的存在でもある場所で、ちょっとお高めなランチくらいの値段で観れてしまうのだ。ヘタすると千円いかないときもある。

 ひとはそれを"幕見席"という……

"幕見席"

 なんだそれはという方が大半なのではないだろうか。歌舞伎にちょっと興味がある、でもなんか敷居高そうだし、なにより高そうだし、という方はこの幕見席をおすすめしたい。

 大体歌舞伎は、一度に2つか3つくらいの演目をやることが多い。1つ目はシンデレラがビビデバビデブーされたあと、かぼちゃの馬車に乗ってお城に向かうところをやって、2つ目は狼に食われた赤ずきんが無事腹から出てくるところをやるとか、そんな感じだ。

 なんでそこだけ? とお思いの方もいらっしゃると思うので補足しておくと、歌舞伎というのは、例えばシンデレラでいうと
「大序(序幕)」色々あって継母たちに苛められてるよ~。
「二段目」ネズミたちがドレス作ってくれたけど破かれちゃったよ~。
「三段目」舞踏会楽しかったけどガラスの靴を置いてきちゃったよ~。
「四段目」王子さまと無事結ばれたよ~。
というふうに1つの物語がいくつか分かれていたりするのだ。一回で全部をやるのは長すぎるので、人気なところだけをやったりする。全部通してやる、ということはあんまりない。

 そんな感じにやっているので、まあ別にシンデレラ見たいけど赤ずきんはいいや、ということもある。演じる役者も同じではないので、誰それの役者はシンデレラには出てるけど赤ずきんには出てないしいいや、とかもある。そのためにあるのがお待ちかね"幕見席"というわけだ。

 歌舞伎座の公演は昼の部、夜の部と分かれていて(三部構成のときもあるけれど)、行きたい日に、前もって、例えば15日昼の部のチケットを購入すれば、その日の昼の部は全ての演目を見ることができる。が、やっぱり高い。1階席なんて1万円するし庶民の娯楽にしては高すぎる。

 でも幕見席は、その昼の部の中の、観たい演目だけを観る席なので、安いのだ。あと舞台からめっちゃ遠い。基本的に役者は米。双眼鏡ないとちょっとつらい。それでも声はマイクなんて使ってないのに、ガンガン飛んでくるので歌舞伎役者はすごいなあと思う。

 というわけで幕見席は安くてありがたいのだけれど、代わりに当日券の販売しかしていないので、確実に観に行けるとは限らないのが難点だ。やる演目は月毎に変わるのだが、月末になってくると幕見席販売開始時点で売り切れてたりすることもある。まあ中旬くらいまでだったら結構空いてるので気にするほどではない。

 しかし意外とこの幕見席が知られていないのはつくづく松竹の怠慢だと思う。そりゃ1階席のお客さんが大事というのは分かるけれども、私だっていつかは下界に降りたいのだ。

 そう、幕見ではなくチケットを買って観ることを、「下界に降りる」という。しかし下界に降りるには金がいる。だが幕見なら同じ値段でたくさん観ることができるのだ。ドレスコードもそこまで気にする席ではないから、仲のいいお友だちと遊びに行くぐらいの恰好で構わない。何はともあれ興味のある方は一度足を運んでみるといいだろう。受付の方々がやさしく色々教えてくれるはずだ。

六月大歌舞伎感想

 今月はありがたいことに色々とご縁に恵まれまして、全演目を観ることができました。歌舞伎を見始めて一年とすこしですが、こんなに観たのは初めてです。大変充実した一ヶ月でした。

 演目は義経千本桜から碇知盛「渡海屋・大初浦」「時鳥花有里」、いがみの権太「木の実・小金吾討死」「すし屋」、狐忠信「道行初音旅」「川連法眼館」です。まずは碇知盛からのそのそと。あらすじも書いた方がいいですよね。

 碇知盛は、壇ノ浦で死んだとされていた知盛や安徳帝が実は生きていて、西国に落ちのびようとしていた義経を討ち取ろうとする、という現代で言うなら所謂イフものの設定になっております。

 これに関しては元ネタである浄瑠璃の方を一度観たことがあったので、比較ができるぞとわくわくしておりました。観劇歴浅いくせに贅沢なことであります。最後はやはり義経に負けて、知盛は碇を担いで入水するのですが、浄瑠璃ですと飛び込んだあと岩陰から都鳥がひらひらと舞う演出になっておりまして、さて歌舞伎はどうなるんだろうと特にそこが気になって気になって仕方がありませんでした。

 やはり人が演じますから圧巻でした。海に沈む碇に繋がれた綱がひゅるひゅると先に海へ引きずり込まれ、最後には知盛もまた海へと沈んでゆくその表情が壮絶極まりない。浄瑠璃の方は波音や都鳥の鳴き声が聞こえてきそうでしたけれども、こちらはドボンという落ちる音が聞こえてくるよう。前者は人の死んだあとの静寂を、後者は人の死ぬ瞬間それ自体を表しているような。

 死人とされていた知盛が実は生きていて、しかし義経を討とうとする彼は真白できらびやかな死に装束を身にまとい死地赴いていくという筋立てですから、死人がもう一度死ぬという実はイフでもなんでもなかったと解釈することもできる、とかなんとかどこかの記事に書いてあったような、なかったような。とにかく死人が死ぬという奇妙な違和感は、この演目を魅力的にしているひとつなのでは、と考えたりします。

 イフものといいながら歴史をなぞるえげつない構成なので、もちろん平家側の者たちは安徳天皇義経に預けられる)を除き各々入水したり腹を切ったりだとかするのですが、知盛の忠臣である丹蔵の死に様がまた見事でして、ひらりと宙を舞うようにして入水していく散り様はとても死ぬようには思えないほどあっけなく、それ故こちらの心を掴んで放しません。これにて御免、くらいの軽さ。

 もとが浄瑠璃ですから、魂が入っているような人形が演じていたものを人間が演じ直すという点ですでに頭が混乱しているのですけれど、時々役者が人形のような動きをするので困っていました。猿之助のお柳が特に印象的です。人に見紛うような人形の動きをまねた人の動き、と字面からして意味がよく分かりません。そもそも知盛だって実は生きていた死人を人間ではない人形が人間のように動かして最後には生きているわけじゃないのに死ぬというわけの分からない構成になっているのだから、それをさらにひとが演じる時点でこちらにはただ享受する以外にやることがない。

 魂抜かれる演目でした。次は時鳥春有里。

 続きものですからその後の義経の話になっております。義経が道中で明神様に神託を下してもらう。踊りだ! 分からないぞ! と不安ではあったのですが想像以上に楽しめました。しかし覚えているのがとりあえず傀儡師(実はこれが明神様)の染五郎が面をとっかえひっかえしていたことと、さっき海にドボンしていた彼が義経に対して「義坊!」と呼びかけていたことくらいだろうか。

後輩のT氏(T氏これで三人目か……?)は梅玉さんがお好きなようである。今回は義経として出演なすってました。目元が特徴的だよなあという印象は抱いているのですけれども。七月は大阪の方で公演だそうで悔しい限りです。

 来月何枚ブロマイドを買うのだろうかと気が気でない。次行きます。

 いがみの権太は「すし屋」は確か吉右衛門がやっていたのを観たような記憶があります。でもまずは「木の実・小金吾討死」から。

 これまた実は死んだと思っていた維盛が生きていた、という設定の元に展開されてゆく演目です。その噂を聞いて家臣の小金吾と、維盛の妻とその子どもが会いに行く、というはなし。題の通り小金吾は討たれて死んじゃいます。

 で。死んじゃうのですがそれがまた薄幸美人というかなんというか素晴らしい。苦渋に満ちあふれる顔つきで髪を振り乱し刀を振るう様がまた美しい。これ以上書くと神経疑われそうなのでやめておきます……。とりあえず小金吾に全部持って行かれてしまった。イケメンが死ぬところが好きなのとT氏に漏らしたところ、忠臣蔵に誘われたので楽しみです。

 すし屋は猿之助演じるお里ちゃんがとてもかわいい。「おお眠。おお眠、おお眠おお眠おお眠」私も眠くなってきた。どんどん適当になっているので続きはまた明日。実は第三部は三回観に行きました。何も言ってくれるな。最高に楽しかった。

「あそぶ浮世絵 ねこづくし」展感想

 横浜のそごう美術館で行われている「あそぶ浮世絵 ねこづくし」展に行ってまいりました。略称はそご美でいいのだろうか……。そご美に行くのは二回目ですね。去年の国芳展ぶりになります。そご美さんのひっそりとした雰囲気好きなんですよね……入口が穴に入るみたいで好きです。

 今回はジュニアガイドが配布されていて、子どもにも配慮されている展覧会でした。ガイドはフルカラーで浮世絵も載ってるんですが、猫だけ切り抜かれて吹き出しが出ていたりしてかわいらしいです。図録もそんな感じでSO CUTE。ただふりがなは全部振ってあるのかと思ったら作品名や作者はまったくないんですよね。子どもにはそこまで必要ないのかなということなのかもしれないですが、それだったら項目に「国芳のねこ」「広重のねこ」とあるのはちょっと分からないんじゃないかなあと思ったり。確かに絵師の説明は入ってはいるけれど、ぱっと見たとき誰やねん、となりそう。どうなんだろう。

 でもお気に入りのねこさがしはうまい企画だなあと勉強になりました。猫だから抵抗なく入っていけるだろうし、猫が題材になっているものばかりではないから、絵の中から猫を探す、という楽しみもできますよね。

 すごく恥ずかしい話なんですが私まだ一回もギャラリートークとかワークショップに参加したことなくて……どうやら木版画体験をやっていたようで……いやこれに限った話ではないんですが! 下半期の目標はそういうのに参加することね……。

 正直生で浮世絵を見るときに気を付けてみているのが空摺りくらいしかないどうしようもない奴なので、今回は猫の毛並みが空摺りされてることくらいしか気付きませんでした。着物の柄だけじゃないんですね。割りと後期とか明治あたりに多いのだろうか。でも春信から盛んになったっていうしそんなことはないのではないだろうか。どうなのだろう。

 それにしても国芳ファミリーが多くて笑います。国芳国芳国芳芳年国芳国芳!その他弟子!みたいな。去年も国芳展やっていたしそご美の学芸員さん好きなんでしょうか。それとも今年の国国展に合わせてきたのかな。まだ行ってないので早めに行きたい。野晒悟助がここにも来ていてふきました。引っ張りだこねえ。

 展示の最初のほうで女三宮と猫に取材しているものが多くて心折れました。やめてください。初っ端からこっちの心を折ってくるのはよしてください。女三宮! 猫! 御簾! とどめの柏木! やめて! 国貞の「吾妻源治若菜之巻」でもろに柏木が描かれているのは精神的にくるので勘弁していただきたいです。これ左端で御簾の方見てるの柏木君ですよね……。特に解説が入っていないので確証は持てないのですけれど。その次の「紫式部げんじかるた」ではもはや対面しているしどうしようもないです。

 図録をぱらぱらめくりながら書いているのですが、鑑賞のあらすじで三代目豊国の「水茶屋」に関して、簪の「鞠」にじゃれている「猫」の飾り、着物の柄の「源氏香」(香道において、源氏物語を利用した組香のひとつだそうだ)という三つの要素から「若菜上」を見立てていると書かれてあって感動しています。すごい。全然気がつかなかった。そもそも源氏香とかいう存在を知らなかったです。馬鹿には厳しい。分かったらさぞ鑑賞に奥行がでるだろうに。見立て絵を楽しめるようになりたいぞ。

 着物の柄といえば芳年の「東京自慢十二ヶ月 六月 入谷の朝顔」でふと思ったのですが、皺になっているところの柄は見えない、だとか、柄の描き方が結構写実的ですよね。それまではトーン一気に貼りました~のようなものが多いような印象を受けるのですが、この絵は柄が猫だけにより強く差異を感じるような。

 ちょっと視野が広くなったのか、今回は落款印章の方にも目が行きました。絵師、版元、改印はだいたいどの浮世絵にも入っているのだろうか。ときどき彫師の名前があるとオオー! 誰だこいつー!(知らない)となっていました。あと詞書にときどき名前が記されていたのは今まで意識していませんでしたね……。そりゃ全部絵師が書くわけありませんわな。

 目が行くのはいいがさっぱり分からないのでもう少し頑張りましょう。詞書もスラスラ読めるようになったらかっこいいですよね。図録だと潰れてしまうのも多いし、やはりその場で読んでおくのが一番いいのだろうけれども、ひらがなですら覚束ないからなんとも……。解読していると一向に進まないし飛ばすのもなんだか勿体ないし。せめてひらがなくらいは読めるようになりたいところです。下半期の目標ふたつめ。早稲田から出た変体仮名アプリ入れましたとも。「よ」が「よ」なのか「に」なのか「き」なのか苛々しているので早う続き書きモードも公開してくれ~とぽちぽちやらせていただいています。

 あんまり感想を言っていないですが、今回も楽しい展覧会でした。次はバルテュス夫人だそうですね……! う、うおー! 行きたいー! でも遠い―! くやしー!

 そして来月の歌舞伎座義経千本桜だそうで。碇知盛もやるそうですから是非先日の浄瑠璃と比較したいです。観といてよかった。誘ってくれたT氏本当にありがとうございます。他はすし屋くらいしか観たことないので楽しみです。今月の演目も知らないのばかりというか知らないのしかないのでざくざく開拓したいところ。

「KEY OF LIFE」感想

 KHとFFのコンサート「KEY OF LIFE」に行ってまいりました。そんなもん知らんわという方の方が多いと思いますので詳しいことは省きますけれど、とにかく素晴らしい演奏会だった。演奏会で泣くというのも滅多にありません。ハンカチ握りしめてめそめそ聞いていました。素晴らしい舞台でした……。

 ご一緒した友人が「何故CDを売らないのか」と憤っていましたが全くその通りで、あとで出してくれないかなあと続報を待つばかりです。プログラムも物販もないという大変シンプルな演奏会で驚きでした。またやっていただきたい。

 まず「いつか帰るところ」をバイオリンのみで静かに演奏してから「ローズ・オブ・メイ」に入り「守るべきもの」で一気に勢いをつけて、しかし「Melodies Of Life」で落ち着かせながらも勢いは殺さないというか、いや音楽はさっぱりではあるのですが、ただオーケストラにしただけではないⅨへの愛を感じてただただ泣いておりました。お願いですからCD出してください。後生ですから。

 指揮者が大層楽しそうに指揮棒を振っていたのが大変印象的です。ぽろりと涙を流していたのも私の涙をかっさらっていきました。演奏者が紡ぐたくさんの音楽をひとつにまとめ上げるというのはさぞや大変なのでしょうけれど、その分完成の喜びは一入なのでしょうね。

 舞台の割れんばかりの拍手が好きです。次があれば是非また行きたい。行ってよかった。

「幻想神空海」感想

歌舞伎座の「幻想神空海」を観てまいりました。歌舞伎を観はじめて初の初演を観られるということでわくわくしてたんですがこれは別に歌舞伎座でやる必要性はあったのか!? と思ってしまいました。でも歌舞伎にわかの言うことなのであまり気にしないでほしいです。

また舞台装置から入りますがとにかく綺麗だった。唐だった。唐に行ってきました。時代考証なんてさっぱり分からん阿呆なのでもう雰囲気だけで唐だ唐だと見入っておりました。特に街中の演出がおもしろかったです。回しながらも場面が動いているというのはおもしろいですよね。空海逸勢と丹翁が瓜だなんだと騒いでいるときですとか、周りのモブさん方を観ているのも楽しかった。生活感のにおってくる演出でとても好き。

原作は夢枕獏で全四巻なのかしら。それを二時間に収めるのだから、最後の方が駆け足になってしまうのは仕方がありませんよね。前半部は割りと楽しく観ていたのですが、後半はおうおう端折ってるんだろうなあとどうしても感じてしまうところが多々あり残念無念。(理解力不足なのではなのでは? あっはい)

それにしても女形の役者がいきなり野太い男性の声を出すという演出はなかなかどうして癖になるといいますか倒錯的というのか。反対ではあるけれどなんだか使い方が間違っている気がします。美人だと思っていたひとが実は男だったけどそれもまたよしというかなんというか。美人はなにをしても美人だ……。

私が観た回は空海さんの逸勢さんいじりが酷かったです。そのせいか空海さんはすっころんでいたのでツケってほんとに回ってくるんですね。逸勢さん素が出てるよ! と大変笑わせていただきました。「僕~~~~」

とりあえず春琴さんがひたすら美人です。私も骨抜きにされたい。でもスーパー歌舞伎だとかでもよかったような。どうなのだろう。音楽がとてもすてきでした。某弾き語りはカラオケか……? と思ってしまったのは私だけではないと思いたいです。許してください。

内容自体は露骨な表現が多くてもうちょっと隠してほしかったかな、というところです。繰り返しが多くしつこい印象。主に白龍さんの告白シーンですけれども。あと空海ほんとチャラい。空海というよりできる生臭坊主ではないのか!? とは思いつつ空海と逸勢の友情、というか逸勢の人柄は大変好感が持てるように表現されていて素敵。最後のスクリーンを使った演出はいやいいんだけどいいのか!? と釈然としない気持ちを抱いてしまいました。歌舞伎とは一体……。「どうしたものかな~空海~~~~」「大丈夫だ~~~任せておけ~~~~~」

先日の雀右衛門襲名公演の口上を観た甲斐あってか段々名前を覚えられてきているような気がします。屋号も覚えたいとは思ってるんです……。
写真入り筋書を狙っているのですが今月は時間がなくてこれしか観られませんでした。授業で少しだけ能面をさわらせてもらう機会がありまして、能も観てみたいところです。お前まだ観たことなかったんかいとは言わないでくださいごめんなさい。ご友人曰く初めては修羅物いいわよとのことでした。

新国立劇場「ウェルテル」感想

新国立劇場の「ウェルテル」を観てまいりました。初めてのオペラで不安もありましたけれど、ウェルテル自体は読んでいたので内容は理解できたかなと。ただやっぱり音楽に関してはさっぱりだなあ。プログラムの「各幕の観どころ&聴きどころ」で色々と書かれていましたけれど、読んでから演奏を聞いてもいまいち合致しなくて残念です。もう少し頑張りましょう。すやすや。オーケストラってどう勉強したらいいんでしょう。いっぱい聞くしかないのかしら。

文楽同様字幕が脇に表示されるので、フランス語がさっぱりでもよく分かるようになっていました。一階席でもない限り、舞台上方から見下ろすような形になるので、舞台を観て、上の字幕を見て、というふうに視点が行ったり来たりしないのはありがたいですね。文楽はもうほとんど字幕を見るとかいう阿呆な観客なので……。馬鹿には辛いぞ。始めドイツ語か? だとか思ってきいていたんですけども、子どもたちが「めるしー」と連呼していて子どもだけフランス語なの!? と上演中首をかしげていました。ちゃんとHPにフランス語と書かれています。

どこから書きましょう。順序立てて分かりやすく書きたいものなのですけれど、とりあえず舞台装置から。

一幕目はロッテ、というかシャルロットと書いた方がいいだろうか。私の中では髙橋義孝訳が基準になっているのでロッテでもいいかしら。
まずロッテ宅の庭から舞台が始まります。奥の背景に大樹が写っていて、照明で木漏れ日を表現していました。全体的に言えることではありますが、装置がとても重厚的で質量があり、ずっしりしています。歌舞伎の平面で明るい木造とはまた違った作りで新鮮です。横に広くはあるのだろうけれど、高さがあるので縦に大きい印象。お金かかってるんだろうなあ。あれどうやって動かしてるんでしょうか。舞台裏にあれが収まるって一体どれくらい大きいのだろう。

二幕は教会の中庭かその辺りだろうか。
三幕がロッテ宅の中で、四幕がウェルテル書斎。

演出のニコラ・ジョエルは舞台装置について「基本は閉鎖的空間」を作るよう依頼した、と語っていますが、それがよく現れているのが四幕なのではないかしらと私は見ています。

ウェルテル書斎は梯子があるほど高い本棚が奥の壁一面で、窓から差し込む光は床には落ちるけれど肝心の窓は舞台では見えないくらいに高い位置にある(っぽい。ぽいぽい)、階段を使っているところから恐らくは二階以上、とこれだけを考えると高さが強調されているように感じるのですけれど、やっぱり息苦しさを残しているのだから不思議です。
ウェルテルが倒れ伏しているところに、その窓から入ってくる月光は当たっていないというのが強烈でした。これもジョエルが、ウェルテルは「社会に対して困難な状況を抱えており、自然を賛美しつつも自分の逃げ場にしている」と語っていることから考えると、暗い部屋の中に差し込む明るい月光という、もしかすると救いにでもなりそうな光ではあるのに、それを受けることができないという点から、ウェルテルの境遇を色濃く表しているのだろうかなと思います。

一面の本棚といい石造りの建物といい高い窓といい、まるで独房を連想させるように思うのですが、これは考えすぎだろうか。アッ、どうして階段という要素を盛り込む必要があったのだろうと引っ掛かっていたのですが、左右から入って来れないという状況を作り出したかったのかな。うわー! まさに閉じた空間だー! 地下にしなかったのは書斎に地下室はないだろうというのもあるだろうし、そもそも舞台の構造上(上から登場)無理というのもあるだろうし、地下だと月の光を出せないということもあったのだろうか。ひょっとすると月光というのは自殺という救いを暗示しているのだろうか。どうなんでしょう。分かりませぬ。とりあえず出られないのだから死ぬしかないよね。

それは違うのではないかしらと私が思ったのは「ウェルテルの死は、誰しも起こりうる人生の失敗を象徴するからこそ、時代を超えて、我々の心にも響くのです」とジョエルが言っている点で、原作のウェルテルに比べれば、オペラウェルテルは失敗どころか大成功だろうということです。
両思いだし最後は看取ってもらえてるし、結構幸せですよね。原作を見ろ……ロッテ死に目にも会ってくれなかったんだぞ……好いたおひとの胸に抱かれて死ねるなんてこれ以上の喜びがあるだろうか。

原作(髙橋義孝訳)との相違といえば、アルベールの役柄が随分変わったかな、というところ。読んだのがだいぶ前なので記憶違いが多々ありそうですが。
顕著なのがピストルを渡すシーンで、原作だと軽いノリで渡してあげてちょ、と言っているのに対して、オペラだと完全に分かってやってましたよねあれ。前者は最後に驚いていたという記述から推測するに、本当に旅に出るのだろうと思っていたのだろうけれど、後者はアルベール自身もウェルテルの自殺に勘付いていたような演出で驚きました。「なんという目つき」とロッテが言っていたように記憶しているのですが、あれはアルベールに対してで合ってますよね……? 確かに二幕最後でアルベールは「彼は彼女を愛している」とは言っていたけれども、それが明確な殺意となって現れて来るとは驚きでした。いま気がついたんですけどアルベールはロッテの気持ちにも気づいていたのだろうか……。

原作だとウェルテルは自殺というよりは、ロッテに殺されたようなものだよなあと思っていたのですけれど、オペラだとアルベールが殺したも同然でおおいい感じにウェルテルとロッテの悲劇に作り変えられている……! と感動です。どちらが好きかと問われるとやっぱり原作なんですが、分かり易さでいったらオペラですよね。舞台である以上下手になんなんだこいつ……と思わせるよりは、心情が明確である方がいいのかしら。そうすると分かり易く且つ泣かせるものを作るというのは大変なのだろうな。どうでもいいけれど原作のどうしようもないウェルテルとロッテがすき。

ロッテの衣装は暗く、妹のソフィーの方は明るいというのは対照を意識されていたのかしらと気になるところです。ウェルテルが死んでからふと、ロッテの衣装は喪服では? と思ったのですがどうなのかしら。いずれにせよロッテの気質はよく現されていますよね。KURAI。

あとは何か書くことあるかしら。ほんとうはもっと音楽が云々かんぬんですとか書けたらかっこよかったのですけれどさっぱりだ。