愛について

 幼なじみとは小学二年からのつきあいだ。長そうに聞こえるけれどもそんなこともなく、同じクラスになったのは二年生のときだけじゃないだろうか。中学も高校も大学もちがうので、過ごした時間というのはあまり長くないと思う。ときおりメールして、いまではときおりラインして、ときおり会ってときおり遊びに行く、ゆるやかな関係だ。専攻が同じ日本文学だったというのも、なんとなく続いている要因のひとつかもしれない。そこまでお互いのことを深く知っているわけでもないけれど、なんとなく馬が合うのでなんとなく心安まる。たぶんわたしは幼なじみのことを愛しているといってもいいんだろう。

 わたしはひかくてき愛しているひとが多いほうなんじゃないかと思う。たぶんこれを読んでいるフォロワーさんのことを、わたしはほとんど愛している。わたしがいままで出会ってきたひとたちをわたしは愛している。もちろん全員を愛するほど博愛主義でもないけれど、もう関わりのなくなってしまったひとたちのこともわたしは愛している。

 こういう話を書くと幼稚園のときから通っていたすこやか教室で一緒だった男の子を思い出す。幼なじみふたりめ。彼とは幼稚園も小学校も中学校も高校も大学もみんなちがうのだけれど、わたしがなんとか連絡を途絶えさせないようにしていたのでなんとかいまだに繋がっている。彼はいわばメル友だ。成人式のとき幼稚園ぶりにあったがまったく変わっていなかった。わたしが好きなひとたちはあまり変わらないひとが多いような気がする。さすがに声変わりはしていたが。三十になってお互い独り身だったら結婚しようという話を彼は覚えているだろうか。わたしはまったくそのつもりはないのだけれど、かといってわたしが彼を愛していることに変わりはない。幸せになってほしい。愛しているひとにはみんな幸せになってほしい。

 わたしの人生でいちばん大切なものをわたしはゴミのように捨てたと書いた。それについてここに書くことはしないけれど、これからわたしが生きていくにあたってこのことはずっと考えていくのだろうなと思う。去年はそれについて考えていたら、死ぬ以外のなにも考えることができなくなっていたのは愚かだった。そもそもしでかしたことも愚かだったが、数年後後悔にさいなまれて死にたがるのも愚かだ。馬鹿だなあほんとに。死ぬまで思うと思う。

 質問箱で恋と愛のちがいについて聞かれた。回答はしたけれどまた頭のなかにぼんやりと残ってそれについて考えている。わたしのいちばん新しい恋といったら三四年前に年下の女の子に恋をしたことだろうか。かわいかったな。たぶんきっと元気だと思うし、彼女も幸せでありますように。いまでこそ思うけれど、わたしは恋で埋め合わせをしようとしていたんだろう。あるいは代わりを探していた。そんなものはどこを探したってあるわけないのだ。だからもういいや、と空しくなって彼女から離れていった。でももうあんなうきうきするような気持ちを抱くこともないだろうと思うので、大事に覚えておきたいと思う。でも彼女のことを愛しているか聞かれたらわたしはたぶん愛していると答えるだろう。自分の手で持っておきたいと思うのが恋なのかもしれない。電車の窓に流れていく景色を見ていたいと思うのが愛なのかもしれない。わたしはひとりで電車に乗って窓の外を見ている。外はうつくしくあってほしい。うつくしくなくとも幸せな景色であってほしい。

去年までとこれから

もういつ死んでもいいように生きてきた。なるべく少しでも会いたいひとには会うようにしてきたし楽しそうだなと思うことはそれができる範囲ならやるようにしてきた。明日死んでもいいようにそうしてきたので、なんだか死ぬ準備をするみたいな気持ちになるところはあったし、明日死ぬつもりなんだからそれは間違ってないだろうとも思っていた。私はこれからやり残したことを潰して生きていくと思っていた。生きていたってしょうがない。失ったからこそそう思うのだというのは分かっているけれど、人生でいちばん大切なものを私は自分からゴミのように捨てた。それにじわじわと気付いてからはもう遅すぎたしほんとうにもう生きていたって仕方がない。狂おしいほどに過去に帰りたかった。でも自分で決めて自分でやったことだ。だから生きていたって仕方がない。80年生きるとして、あと何十年生きなくちゃいけないんだろう、早く死にたい。楽しいことは全部生きることの誤魔化しで、終わったあとのむなしさは全部自分のせいだ。お前がぜんぶやったことだよ、と言い聞かせて生きていたらついに糸が切れた。何を考えても「でもどうせすぐ死ぬんだよね?」という考えしかなくなった。簡単に死ねたらいいのにそれもできない。首を括る縄を用意することもないくせに死にたがる。自業自得だ。自分のやったことだ、自業自得だ、ざまあみろ。
そう思って動けなくなってから、やっと動けるようになってきて、やっと楽しいことが楽しいと思えてきたような気がする。生きることの誤魔化しではなくてただ楽しいだけ。娯楽がようやくただの娯楽になった気がする。私にとって観劇は最高の誤魔化しだった。あれは私が生きていることを忘れる。あそこは私が生きていなくてもいい世界だ。お前みたいな屑は死んだ方がいい。もうそう思うのも疲れたので最近はまったく思わなくなった。生きているだけで自殺という死因のパーセンテージを増やさなくてすんでいる。それだけでいい。そういうひとがいてもいいだろう。私はこれからも悔恨を引きずって生きていくし、生きている意味も見いだせないけれど、やっぱり死ぬのは怖かった。手首を切ることも縄を準備することもなかったけど、死ぬのは怖かった。それで頭を満たすのは辛い。残念ながらひとは死ぬまで生きなくてはいけないもので、それに関しては天地がひっくり返ろうが変わることはないんだろう。私は死ぬまで生きなくてはならない。そう考えるとやっぱりつらいな。今日は久しぶりに病院に行く。しばらくさぼっていた。まあたぶん先生は許してくれる。あそこはそういうところなんだろう。
この間公募に小説を出した。六万字くらいの世間的には短い小説だったけれど、久しぶりに長いものを書いた。死んだとか死なないとかそういう話。死んだ人間は気楽だと書いた気がする。祖父がそれ。フォロワーさんだとかにいっぱい読んでもらえてうれしかったな。サークルのひとにもちょっと読んでもらえていたのもうれしかった。あと掲示板に載った寸評もうれしかった。そんなに出してるわけじゃないけど、公募の小説って身近なひとにしか読んでもらってなかったからとても新鮮だ。読んでもらえるってとてもうれしいね。おもしろい公募を発見できてよかった。また書かないとなあ。小学校の頃から作家になりたいとか言っていたくせに、そんなに書いているわけでもないのは笑える。でもお前はそういうやつだ。私がよく知ってるよ。そういうやつだった。これからもそういうやつだ。もう十分くらい否定したから、すこしくらいは肯定してもいいだろう。わたしがやったことが消えるわけではないが。馬鹿だったなあ。これからも私はみじめにみっともなく生きていくんだ。でもそういうひとがいてもいいと思うよ。結果早く出ないかなあ。大賞はアニメ化検討だって。どうかな、どうなんだろう。一次にも通ったことないから分からない。なんて甘っちょろい夢を見てるんだろうね。でもそれが私だった。小学生のときから何も変わらない。いまちょうど二時半だ。机の上に赤いランドセルを乗せて先生を待っている時間だった、午後だけど。待つのはとても苦手だ。
久しぶりに自分のことを長々書いた。高校生のときブログをやっていたときとなんにも変わらないね。

ストンプとグレイテストショーマン、とあとアイスダンス

グレイテストショーマン(以下グレショ)を観てきました。去年スターウォーズを観たときに流れていた予告が印象的で気になっていたのと、フォロワーさんがあげさんみてー!と呟いてらしたのを運良くキャッチしたのと、ちょうど今日がファーストデイで割引だったので、これは行くしかないと財布片手にお家を飛び出していた。そういえばわたしのいいところはフットワークの軽いところだったことを思い出した。

開幕早々トラブルが起きて(おばあちゃんが席を探して通路席のわたしの脇をうろうろしたのを案内したら実は「空海」を観に来ていたひとだったとかそんなかんじです)、冒頭の曲に入っていくことができなかったのは本当に残念だったのですが、音楽というか音の使い方がとても丁寧な映画だった。よくミュージカルは唐突に音楽が始まるから苦手、という話を聞くけれど、そういう方こそ観てほしいと思える映画だったと思う。

日岡田麿里初監督の映画を観てきたという話はしたけれど、あれはシーンの取捨選択が前半に偏りすぎていて後半駆け足だった。それがとても残念だったので、今日グレショを観て感動したことのひとつは幼少期をさらりとやってのけたところ。未来の奥さん(お察しの通り登場人物の名前はほとんど覚えられておりません)との別れのシーンもそうだし、父親が亡くなったところや、彼が生きることに必死だった日々、奥さんを迎えに行くまでの苦労も全部夢を歌った曲の中に収められていて、そりゃここに尺割いたら後半しんどいもんなあとは思うものの、やっぱりバッサリカットできるというのはすごい。必要なものを必要な分だけ入れられるというのは見習いたい。

サントラはやっぱりそういうふうにはなっていないんだけど、「Come Alive」の曲の入り方は確か求人記事を貼るために釘を打ち付けていく音だったと思う。単なる音が、段々と曲になっていく演出はしびれた。「The Other Side」もグラスやバーをうまく使った入りじゃなかったっけ。サントラがそうなっていないのは仕方のないことだと思うので、わたしは円盤を買ってしまうのかもしれないなあ。

でも劇場内で聞いたあの振動は劇場でしか味わえないと思うと悔しい。音の震えを体で感じることができるというのは劇場の特権よね。そう「From Now On」は本当にすばらしかった。わたしはストンプに弱いんだ。サーカス団の靴音を聞いてわたしはめそめそ泣いていました。靴音って、それだけで心地よい音だと思うんですが、音楽や演劇だとかで表現される「靴音」というものはそのひとの生きてきた音のように聞こえてきてとても胸に響く。

三津五郎さん(歌舞伎役者の方)の著者の中でそのあたりの話を「踏む」という言葉で語っていた覚えがあるのですがあやふやだ。でも「踏む」というのがなんとなく心の端っこに残っていて、そのひとが今まで歩いてきたその足で響く音がわたしはとても好きです。しかも物語終盤でその音を聞かされるんだからそりゃ泣いてしまう。

人間の肉体が作り出すものというのはどうしてこんなに胸に響くのだろう、と書きながら、それは自分が一番よく知っている楽器だからかもしれないなと思ったりしました。手拍子も靴音も知ってる。手を叩けば音が鳴るし踵を下ろせば音が鳴る。知っているからこそ、それが音楽になるということに殊更感動するのかもしれない。どうなんだろう。

この間の平昌五輪でアイスダンスをよく観ていたんですが、シルクドソレイユで感動したことを思い出していた。肉体の躍動と、機械的なシンクロという相反するものが組み合わさったすごい競技だった。自身の肉体が表現になるというのは改めて考えると不思議だ。役者もそれに近いと思うのだけれど、もうすこしダイレクトというか、肉体によってのみ表現される、もしかすると原始的なところに心惹かれるのだろうか。ちょっと違う気もする。わたしも持っている肉体で、わたしができない表現をしているところだろうか。

わたしだって釘を打つことくらいできるし、グラスで音を鳴らすことはできる、手を叩くくらいできるし、足音を鳴らすくらい簡単だ。でもそれで音楽は作れない。小さい頃グラスに水を入れて音を鳴らす遊びをしたことを思い出す。指で伸ばした輪ゴムをはじいて音を出したりした。そうした音が、ひとつの音楽になって心に響いてくる。わたしにはできない。うらやましいのかもしれない。わたしの肉体や、肉体の延長にあるものが鼓動となってひとの心をゆさぶるのが。

どうなんだろう。そのへんはこれからも考えていきたいなと思いつつ、その傍ら、純粋に手拍子の音に涙して、靴音に心震わすのだろうなあ。すてきな映画だった。以下余談。

 

「This Is Me」がこの映画の売りなのかなーと宣伝文句だとかを見ていると思うんですが、その売り曲が主人公抜きで成立してしまうのはどうなんだという感想をちらっと見ました。P・T・バーナムが生きたのは19世紀アメリカでしょう。彼が生きたのは1810~91年だそうで南北戦争なんてもろ経験したはずだけど、映画ではそんな描写1ミリたりともないのよね。伝記映画って本当に難しいよねえ。その人物を映画になるよう物語に再構築しなくちゃいけない。使える時間は限られているし、なにを捨ててなにを表現するかというのは本当に難しい。グレショに関しては、歴史的背景はバッサリカットして、上流階級と成り上がり、差別者と被差別者にのみ焦点を絞ったのかなあという印象です。だからまあ奥さんと別れちゃうと前者の交流は無理だった!ってなるし(どんまいオペラ歌手……)、あの劇作家とブランコの妹がくっついたのは後者のためなんだろう。「This Is Me」を主人公が歌わないのは後者の枠組みには入っていないからなんだろう。主人公は前者では成り上がりに入るが後者では差別者の方に入るし、実際彼はパーティの扉をサーカス団の前で閉めてしまった。でも彼らに居場所を与えたのは主人公に他ならないし、だからこそ劇作家くんと妹さんがくっつくという落としどころが必要だったんだろうなと思う。劇作家くんってほんとにいたのかな?創作なんじゃないだろうかと思うがどうなんだろう。いずれにせようまくまとめてるなあと感心する。父親が子育てするという要素も最後の最後でぶっこんできている点もうまいですよね。現代で19世紀を表現するということをよく考えているのではないかと思う。まあそのへんの批評は他の人が色々書いてらっしゃるんじゃないだろうか。わたしは音楽にめそめそ泣いていただけなので……はー楽しかった。どうでもいいんですが昨日は空海を先輩と観ていて、もしこのグレショだったら余韻に浸りたいので今日は帰らせてください……とか言い出していたかもしれない。ひとりで観てよかった~。おしまい。

岡田麿里と2時間映画【さよ朝感想】

 土曜日ついに公開となった「さよならの朝に約束の花をかざろう」(以下さよ朝)を観てまいりました。「凪のあすから」(以下凪あす)スタッフ集結ということで、凪あすファンとしては楽しみで、初日に行ってしまうくらいには楽しみだったのですが、ボロボロたくさん泣いたあと、落ち着いて考えてみると、岡田麿里は映画には向かないんだろうなと思ってしまったのが正直な感想です。

 

※以下ネタバレを含みます。というか観てないと分からない気がします。

 

 さよ朝はマキアのヒビオルであるエリアルの物語であると私は思っているので、後半のシーン選びは残念だったなと思っている。またエリアルの物語ではあるが、同時に冒頭長老さまが見つけたヒビオルの綻びでもあるのだろう。レイリアはその綻びのことは忘れると言っていたけれど、マキアにとっては自分自身のヒビオルで、染めた髪という過去の証こそクリムに切り落とされてしまったけれど、その過去は彼女の中にこれからも存在し続ける。それはエリアルを拾ったときに「私のヒビオルです」と語った通りで、だからこそエリアルの最期という自身のヒビオルの終わりでもある瞬間を彼女は見届ける必要があったのだと思うのだけれど、映画としての見せ方としては首を捻ってしまう。

 イオルフという長寿に生きるその性質から、彼らを描くというのが必然的に大河のような作品になることは分かる。現にマキアはエリアルの(ほとんど)誕生から死までを変わらぬ姿で生きたし、映画自体もマキアとエリアル二人の話として初めの方は進行していた。途中レイリア奪還計画に関わりはしたものの、マキアは彼女から拒絶され、そして彼女はそれを受け入れ、マキアはまたエリアルとの暮らしに戻っていった。

 だがマキアとエリアルが別れてから段々とシーンの選別に疑問が増えていく。その前に声変わりを経て思春期を迎えていたエリアルとマキアに生まれていた心理的距離も、いきなり感はあったけれども、そのあたりはラングとの会話でうまく補完されていたからさほど気にならなかった。いきなり大きくなっていたエリアルからマキアへの気持ちの吐露のシーンもとても丁寧で、エリアルがマキアから離れるところまでは大変丁寧だった。そこまではよかった。

 個人的にラングのマキアへの気持ちがなんとも形容しがたいもので、どういうところに落ち着くのかとても気になっていたのだが、二人が別れてからの描写がこういってはなんだがなかなか酷かった。急転直下すぎてついて行くのが大変だった。具体的に言うと「父親になるんです」から落馬してそのままずるずる引きずられていった気がする。マキア母親、俺父親、どういうことだ、そういう方向性に落ち着いたのか、まじか~~~マキアこれどうすんだこれどうすんだよこれ~~~~~と頭を抱えていたら、なんのことはないディタとくっついていた。子どももそろそろ生まれる。そんな馬鹿な。マキアと離れてはいおしまいというわけではなかったのだろうが、マキアと離れてからエリアルのマキアへの気持ちというものがほとんど描写されなかったのに(いやラングとの会話とかでちょっとはあったし、最期の方で一気に語られてはいたが)、いきなりいつの間にか故郷の幼なじみと再会していつの間にか子どもを作っていた……そしてクリム生きてた……マキアはいつの間にか拉致され数年間監禁されてる……誰も気付いてない……ノックまでしたんだからラングにはもうちょっと頑張ってほしかった……戦争起きた……レイリア奪還計画再び……突然の再会……とまあ別れてからの急展開がなんとも岡田麿里だなあとしみじみ思う。「あの花」終盤の大告白大会そしていきなりの隠れんぼ(いやあれはめんまが「見えない」から「見つけた」という言葉を使う「隠れんぼ」になったのだろうけれど)を思い出させる展開だった。思わず涙がこぼれてしまうほど心情描写はうまいが、終盤の展開が急すぎるというかご都合主義と言われてしまうようなところが元気もりもりの健在で、ああやっぱり岡田麿里なんだ……と終わってみれば強く思う。あの花の終盤の怒濤の展開から見ると、凪あすはまとめ方もうまく置いてけぼりを食らうこともなかったし伏線の回収も素晴らしく、さよ朝も期待していたのだが、考えてみれば片や2クールの10時間のアニメ、片やたったの2時間ぽっちの映画である。そして題材は大河ファンタジー。そりゃ急展開にもなるだろう。

 マキアとエリアルが離れてからは、いきなり監禁数年目のマキアが出てきてしまいマキア視点で物語を見ているとも言えず、エリアル視点にしてはシーンがずいぶん飛んでしまった。物語の最後も、レナトに乗っていずこかに去ったマキアが死の間際のエリアルの元に訪れるというものだったが、エリアルの生から死までを描くのであれば、二人が離れてからはもっとエリアル視点で進めてもよかったのではないかと思う。現にマキアはその後すぐに拉致監禁されて物語にはほとんど関わらない。というかどうしてマキアはレナトを解放してレイリアを連れ出そうとしたのか思い出せない。どうしてだっけ。そもそもマキアとレナトって関わりあったっけ。こう考えてみるとやっぱり終盤のマキアの行動は色々と謎だ。でも映画を見ている最中は終始泣きっぱなしで顔がガビガビだった。これからも私は岡田麿里の作品を心待ちにするのだろうし、そしてたくさん泣くのだろうし、そして終盤急だなあと思うのだろう。2時間はあまりにも短くイオルフの生はあまりにも長い。おしまい。

ゼンマイで動くお人形さんのファンタジー小説を書きました。

果たしてここで宣伝して読んでくださる方が出てくるのか謎ではありますが、ないよりはいいだろうということで書いておきます。

 ゼンマイで動く機械人形「オートマトン」を扱うお店の店主が、人間と人形の違いにもだもだ苦しんだりするお話です。メイド人形さんが出たり出なかったり。以下に冒頭を載せておきますね。今日の17時まで無料でダウンロードできるんですが、無料頒布デーはあと4日分残っているので折を見てまた設定したいです。読ませろー!という方がいらっしゃいましたら連絡ください。設定します。レビューとか……書いてくださったらうれしいです……

kindleアプリをダウンロードすれば専用端末がなくともお読みいただけます。kindle unlimitedにも登録しております。よろしくお願いいたします~。

香匣は心臓を望む

香匣は心臓を望む

 

好きな台詞まとめたよ。

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以下本文サンプル。

 

 

 香匣は心臓を望む

   宮丹桂

 

 いやなコール音だった。暁人・クリンプは、その電話を取るのがしばし遅れた。それは真夜中に鳴る電話と似ていたし、じっさいその通りだった。たった数コールのためらいは暁人の良心を痛めるには充分で、受話器を取るや否や彼は「レテか?」とせめてもの償いのように、その一言をしぼりだした。
 案外早かった、と思ってしまう自身は確かに存在していた。おどろきよりも腑に落ちるような、ようやく縫い物を終わらせたような、そんな感覚だった。彼は受話器を耳に押し当てて、壁に頭を押しつけるようにしてその声を聞いていた。
「分かった、すぐ迎えに行く。すぐ行くから、部屋から出るなよ、頼むから、いいな、ぜったいだぞ」
 と彼は念を押して電話を切った。受話器がもとの場所に戻ったことを確認して、いまいましく舌打ちをする。眼鏡をかけたままだったが、両手で顔を覆い隠しその場にずるずるとしゃがみ込んだ。「めんどくせえ」と泣き出しそうな声を出し、電話台にごつん、と頭を打ち付ける。
 電話台は階段のすぐ手前に置いてあった。一番下の階に腰をかけて暁人は膝に顔をうずめる。泣いているのか、うめいているのかどちらともつかない声がそこから漏れてくる。
 太陽はもうじき一番高いところへたどり着く頃合いだった。しかし彼の丸まった背中はぼんやりとした頼りない光に照らされるばかりで、店内はうすぐらい。階段の上には、両側にふたつの硝子ケースが壁にそって入り口近くにまでのびている。片方の硝子ケースには、時計用にしては大きすぎるゼンマイの巻き鍵がところ狭しと並んでいた。巻き鍵の羽根は意匠がひとつとして同じものがなく、穴が対称に空いているものもあれば、凝った装飾をほどこされているものもありさまざまだった。もう片方には自転車のペダルのような、軸とそれを回すためのノブがついたクランクキーが並んでいる。巻き鍵に比べれば数はすくないが、上段には取り外されたノブ部分だけが上向きにいくつも置いてあった。
 せめて店内が覗きやすいようにと作られたショーウィンドウには、ひとりの女性が椅子に座ってうたたねをしている、ように見える。じっと見つめていればそれが呼吸などしていないことに気づくだろうが、それでもふんだんにあしらわれたレース帽子のなかから覗く、ふっくらとした頬は赤みを帯びていてやわらかそうだったし、伏せられた長い睫毛ののびる目蓋は、いまにもぱちりと開かれそうだった。人間と見まがうほどのその等身大の人形はひとつだけではなく、ウィンドウの手前にも二体、椅子に座っていた。同様に女性の型をしたものがひとつ、もう一方は他の二体よりも大きく、男性型の人形だった。
 それらが暁人の扱う商品だった。どこまでも緻密につくられたそれとひととの違いを見つけることは酷くむずかしい。ひとたび動き出せばよけいに人間なのか人形なのか分からなくなる。それはゼンマイによって動いた。時計のようにゼンマイで動くその人形たちは、オートマトンという名で知られていた。
 そのオートマトン店の店主は、店のまんなかでうなだれている。慣れていない客が足を滑らせて悲鳴をあげる階段に、腰を掛けたまま動かない。頭のなかでは電話の会話を反芻していた。「薫さんが朝から動かないんです」というレテの言葉が、ぐわんぐわんと頭のなかで響いていた。水谷薫というのがレテを買った顧客だった。死ぬのならばせめて病院のベッドで死んでほしかったが、昨晩はきちんとレテのゼンマイを巻いてくれたらしい。それに関しては感謝しなくてはならないのかもしれない。いずれにせよ水谷氏は死んだようだ。ああめんどくさい、と彼はもう一度言って体を思い切りのけぞらせる。階段の縁が背中にあたって痛かった。
「どうかしましたか、暁人?」
 機械音の混じる声だった。それは店の奥から聞こえてきたようだった。ひびの入った古いソファの向かいには、少年のような、少女のような形をした人形が座っている。動き始めのオートマトンほど気味の悪いものはない。首だけがなめらかに動き暁人をとらえた。見開かれた瞳に見つめられると背中に冷たいものが走る。
 暁人は階段にのけぞったまま「質問をするときは首を曲げるとそれっぽいぞ。やりすぎはしつこいが……ああ、あと目が開きっぱなしで怖い。もうすこしまぶたの力が抜けるといいんだけどなあ」と言った。その声音はいささかうんざりしていた。
「では、どうかしましたか?」とそれは首を傾げ、たしょう瞳をまぶたで隠しながらふたたび言った。口元を言葉に合わせて動かすようにはなってきたが、まだ開閉する程度の動きしかできていなかった。発声器から音を出しているだけで、人間のように口のなかで音を作っているわけではないから会話すること自体に支障はないが、この人形が人間のように動くようになるのだから不思議なものだ。
 彼はあきらめたように立ち上がると、電話が鳴る前と同じようにそれの向かいに座る。階段よりは座り心地がよかった。しかしコール音が響く前までのように、人形の相手を続けているわけにもいかなかない。客だった死体のそばで、自身の商品が途方に暮れているのを放ってはおけなかった。人間死んでしまえばおしまいだ、迷惑だ、と暁人はうまく回らない頭で考えていた。こいつになんと言うべきだろう。大事なことだ。まだ動き始めて間もないのに。
 それは言われたとおり首を傾げたまま止まり暁人の言葉を待っていた。お前の兄、あるいは姉、あるいは先輩に当たるオートマトンのご主人が、つい今しがた亡くなったそうなのでこれから確認しにいくよ、とはさすがに言いづらく、そして理解できるとも思えなかった。それの分かる範疇で言葉を探しだすことはむずかしく、戸棚から捜し物をしていた女性が彼に救いの手を差しのべたとき、彼女が思う以上に彼は安堵した。
「わたしが相手をしておきましょうか」
 と彼女は言った。その声にもまた機械音が混じってはいたが、目の前の人形よりは小さかった。黒いワンピースにエプロンドレスをまとった彼女は、戸棚に押し込まれたファイルを引っ張り出して中身を確認している。彼女は女性型のオートマトンで、暁人は彼女を桃と呼んでいた。暁人はうめくように言った。
「いま頼もうと思ってた」
「それは失礼しました」
 お目当てのものが見つかったのか、桃はファイルをめくっていた手を止める。「ミスタ・水谷の連絡先は、息子さんのようですね。掛けていきますか?」
「いやいいよ、ただ寝てるだけだったら申し訳ないし」そうだとしたらきっと腹を抱えて転げまわるにちがいない。桃から水谷氏と結んだレテの契約書を受け取り、暁人は笑った。彼女は応えなかった。
「怒ってる?」
「いいえ、まったく」
 ほんとかなあと暁人は桃を見上げるが、彼女はふいと顔を逸らす。彼はそれ以上掛ける言葉も見つからず、水谷氏の住所を確認した。「あ、アパート暮らしか。じゃあ連絡とかは俺たちの仕事じゃないな」
「契約者死亡時のレテの扱いは大丈夫ですか?」
「店に返却だからへーきへーき」
 そうですか、と桃は頷いて、店の奥の階段から二階へ上がっていった。暁人は首を曲げて動かない人形に向き直る。
「マリウス。質問が終わったら首はもとに戻していいよ」
「わかりました」と、彼、あるいは彼女、あるいはそれは言った。どれを使うのが適当なのか、暁人はまだ分かっていなかった。男の顔をしていれば彼だろうか、女の恰好をしていれば彼女だろうか、それと言うにはあまりに人間に似ていて、暁人は答えをあとにのばしている。暁人はマリウスの前で膝を折りその手を取った。人間の手にしては冷たいが、機械の手にしてはあたたかい。人工的に造られたなめらかな皮膚をなで暁人は言った。
「申し訳ないけど、しばらく授業は休憩だ。桃はなかなか口下手だから退屈かもしれないけど、ちょっと待っててくれな」
 マリウスは微笑みをうかべたままなにも反応しなかった。「口下手だから退屈」というところに引っかかっているのか動きを止める。仕方ない、まだ動き始めて三日だ。生まれたての赤子を放っておく者がいるだろうか。しかしオートマトンは放っておいたところで死にはしないのだ。こんな大事なときに、と暁人はマリウスの手をなでて思う。
「口下手ですみませんね」
 桃は腕にコートを掛けて戻ってきた。いささか乱暴に広げられたコートに腕を通しながら「むしろ褒めてるのに」と暁人は言った。「もっと他のところがあるでしょう」と彼女は裾についた埃を払うようにして彼の足を叩く。だいたいこういったときにどんな褒め言葉を並べてみても彼女は満足しないのだ。襟元を直す桃を見ていると「お前のゼンマイが切れたら立ち直れないだろうなあ」とうかつにも口走っていた。
 仕上げにコートの左右の襟を引っ張っていた桃は、思い切りそれをぐいと引き寄せた。
 がん、と桃の額が暁人のそれにぶつかり、よい音を立てる。衝撃に暁人が目を白黒させ、あまりの痛みに額を押さえようにも、桃は離そうとしなかった。オートマトンは表面こそ人間の肌に近く作られてはいたが、やはり強く押せばその下に堅い金属板があることは分かる。桃はそれを感じさせるようにぐりぐりと押し付け、機械音を強調した声で低く囁いた。
「いいから早くレテを迎えにいってあげてください」
 コートがみしみしと嫌な音を立てるが、引きちぎる前に桃はその手を離す。じんじんとした痛みをなんとかやり過ごしながら、暁人は「イエス、イエス」と震える声で答えた。
「くれぐれも焦って事故など起こしませんように」と桃は額についた油をハンカチでぬぐって言う。手入れは大事なことだ、と暁人は自身に言い聞かせ、誤魔化すようにマリウスの頭をぐしゃぐしゃとなでる。逃げだすように大股で出ていこうとするが、暁人はドアをすこしばかり開けてから、名残惜しそうに振り向いた。〈霜降〉と呼ばれたこの街は雪こそあまり降らないが、夏が終わればすぐに寒い時期がやってくるのだった。秋の暮れの冷気が開けたドアの隙間から店内へ流れ込んでくる。革手袋越しに、暁人はポケットに入った車のキーをもてあそぶ。
「それじゃあ俺が死んだらどうするよ」
「きっと一緒に死ぬので安心してくださいね」
 間髪入れずにそう言って彼女は笑った。桃はこの店のオートマトンのどれよりも付き合いは長かったが、彼女が笑うのはとてもめずらしかった。古い人形で、パーツの取り替えもたいしてしていなかったから手首や指の球体関節はむき出しだった。それでもマリウスの髪に指を入れて髪を梳く仕草は、母が子どもをあやすそれと酷く似ていた。
「主人のいなくなったオートマトンのかなしみなんて、あなたには分かるはずもありませんよ。それが分かったら、さっさとレテを迎えに行ってあげてくださいね。この店のオートマトンはみなわたしの兄弟なんですから」と慈愛にみちた微笑みで、桃は暁人を送り出した。

 

UTAUおすすめ曲

UTAUってなんじゃらほいという方はまずこの曲を聞いてみてほしい。

これ、ひとが歌っているんじゃなくて、音声合成ツール(UTAU)で作られているんですよ。あ、い、う、え、お、等々もとの音源は肉声だけれども、それを組み合せて曲を作っていくのがこのUTAUなんです。

とりあえずミクちゃんみたいなもの、という認識でいいのかな。ボーカロイドの他にもこういうものがあるんだよー、好きなUTAUを見つけてほしいなー、そしてあわよくば私におすすめしてほしいよー、というわけで手始めに私のおすすめの曲を貼っていこうと思います。

 

・1曲目

ボーカルは雪歌ユフでした。私の推しです。コーラスは揺歌サユ。このふたりは「雪パンダ」というコンビ名で知られていたりします。
ユフは静かな曲調が好きな方におすすめかもしれません。

・2曲目

二曲目もユフさんでした。えへへ。雰囲気ぜんぜんちがうでしょ。フルバージョンはCDの方に収録されていますので気になった方はさっそくぽちっと。

・3曲目

カバーもあるよー!この方はカバーをたくさん出しているのでぜひチェックしてみてね!

・4曲目

こういうカバーもあるぞー!

・5曲目

「君は実に馬鹿だな」でおなじみの重音テトさんです。歌詞がなかなかかっこよくて好き。

・6曲目

モデルもたくさんかわいいのが出ているので、この子かわいいなー!から入っても楽しいと思います。UTAUっていったいどんくらいいるのよと気になった方は下のリンクをぽちっとな。

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